火事に遭いました!!
今から何十年前の冬の日のことについて話します。
あれは、僕が、東京で苦学生であった頃のことです。東京の阿佐ヶ谷に住んでいました。
平日の正午、僕は部屋で「笑ってもいいとも」を見ながらカップヌードルを食べていました。ぼくの部屋は、木造2階建てアパートの2階でした。ラーメンをすすっている時でした。畳の間から煙がモクモクと立ち上ってくるではありませんか。僕はあわてて窓ガラスを開けて下をのぞいた。下は、管理人さんの部屋である。そこから煙と炎が上がっていた。
僕は、急いで階段を駆け下りた。この時点ではボヤだと思っていた。下にいくと、70才ぐらいのおばあさんがあわててうろうろしていた。見ると管理人さんの部屋から火は出ていた。ぼくは、急いで廊下にある消火器を取り出し炎に向かって消火器の泡を噴射した。でもその時には、炎はすでに天井に移っていた。消火器の泡も30秒ほど出ただろうかすぐになくなってしまった。
僕はこの時考えた、部屋にもどろうか、戻って貴重品だけでも取り出した方がいいのかなと。でも、炎への恐怖心が僕を階段を上っていくことをためらわせた。外に出た炎は勢いを増して、音を立てて燃えていた。にわか雨が降り始めた。火事の炎は、雨なんかなんのそので雨に関係なく、燃え続けた。
そうしているうちに消防車がきた。水の噴射が行われた。30分ほどで火は消えた。後には瓦礫と化したアパートがあった。
1時間前の世界がとても幸せな時間だったんだなーとボーッとした頭の中で思った。
おそるおそる階段を上って部屋に戻ってみた。何か使える物はないか、金はないかというせっぱ詰まった気持ちだった。部屋の天井や壁は焼けてなかった本棚に本が残っていた。本の背が真っ黒だった。ページ「をめくって見るとあちらこちら焼けていて、文がとぎれていた。ジャケットなども、腕の所だけ焼けてなかった。火攻め、水攻めにあったからだろう。衣服、家具、電化製品、生活用品全滅であった。焼けていてもまだ見える写真だけを手に取った。
「そうだ今夜からどこに寝よう」「何を食べよう」「何を着けよう」戦災孤児のような状況であった。
続く
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